11/7/2017 日記

祖父が旭日大綬章を受賞した。パブリックセクターで顕著な功績を果たした人に春、秋約5人ずつに天皇陛下が授与するものだ。

 

祖父は通産省を経て、特許庁長官になり、その後某県の知事を4期16年勤め、その間全国知事会長として6年半職務を全うした。知事を引退してから6年が経ち、この度受賞した。

 

今日、祖父は御所に出向き、陛下に謁見し、旭日大綬章を頂いた。

 

今夜はそのお祝いの会であった。親戚が30人ほど集まった。

 

官僚、政治家として国に何十年も奉仕し、天皇陛下にこんなにも素晴らしい賞を頂いた。祖父の出自は地方の貧しい一家である。そこから身を立て、京大に合格し、通産省に入省した。

 

とても憧れる。カッコイイと思う。

職業観

絶賛ジョブハンティング中である。正直ここまで苦労するとは思っていなかった。

 

大学1年生から就活の履歴書に書けるような”ストーリー”は沢山経験してきた。オーケストラ部で一生懸命オーボエの練習をしたり、外務省のプログラムで4ヶ月間アメリカに行ったり、日、中学・生会?議に参加したり、H、PA*IRに参加したり、などなど。

 

でも外コンとか外銀とか、省庁みたいなトップティアって、そういうストーリーよりも、その学生の思考の深さ、頭の回転の速さ、社会性を見ていると思う。

 

ぼくは大学1年生の頃から、就活のときに自信を持って語れるようなストーリーのある大学生活にしようと考え、タスクのように長期休暇の度に海外派遣プログラムに参加してきた。それ自体はいいことだとは思うが、より大切なのはなぜそういったプログラムに参加するのかを考えた上でapplyし、参加した後はそこから何を得られるかを考え抜くことだと就活を通じて気がついた。

 

いざ就活を始めると、自分が何も考えずに大学生活を送ってきたということに気がついた。自分の就活の指針となるような確固たる価値観というものが存在しない。

 

そんな中での就活は、手漕ぎボートに乗って大海に繰り出しているようなものである。潮流や波、風といった外的変数の影響をモロに受け、あてもなく社会という海を彷徨っている。とても心細い。

 

とりあえず今は外資コンサルを中心に見て回っている。正直素質がないと思う。でも受けてみる。

 

今は、様々な職業観が自分の中でぶつかっている最中だ。世の中に貢献したいという気持ちが強い。ぼくは、かなり恵まれた家庭で育ったと思う。これだけ恵まれた環境で育った人間はいないから、世の中に価値を還元したいと強く思う。

 

民間でバリバリ稼ぐことそのものが社会において大きな価値を還元しているというのは理屈では理解しているのだが、やはりぼくの肌感覚として、より直接的に社会に価値を還元できるのは国家公務員・政治家だと感じる。でも、国家公務員になるほどの覚悟はないと思う。低賃金で死ぬほど働き、国民から四六時中叩かれる日々は、よほど国家への奉仕精神がないと務まらないだろう。ある程度ゆとりのある生活をしたいと考えているし、そこまでは国家に対する奉仕精神は強くない。

 

そんならJICAとかどうよ?ってなるが、うーん、ちょっとリベラリズムすぎてキツい。

 

シンガポールみたいに、国家公務員がリスペクトされて、待遇も外資金融並みだったらいいのにね。

 

とにかく、今の職業観のままでは、国家公務員も民間もどっちも踏ん切りがつかない。どこかで折り合いをつけなければならないのだけど、難しい。

俺はカス

ポテトです。

心が弱っているからブログを始める。ブログをやっている人は大抵心が弱っていると思う。

 

日々ぐるぐると考えていることを書くだけの鬱々としたブログになると思う。思考って、言語化するとスッキリするから、その効果を狙ってのブログです。